斎藤喜博を知らなければ・・・

この組織を抜けることも、きっとなかった。
強引に抜けたけどね。
そのプロセスは、後ほど。
この組織が共産党に「指導を受ける」名目で盲従しているのを目の当たりにして、とても「自分がある」とは思えなかった。いつの日も、やることは共産党のいたずらな礼賛だった。
それでもって、自己無謬の前提で自身と異なる者の排撃。
もっといえば、斎藤喜博のいうところで、
「科学の名の下に他を否定するきわめて自己中心的な」連中だった。_出典忘れた_


去年、Mixiに関わっていた頃、宣伝を兼ねて、民青コミュに首を突っ込んでいた。
勿論、批判がためではあったけど。_誰がよく言うか_
彼らの本質は、実空間でも亜空間でも変わらない。
どうかしなくて、批判も中傷も一緒くただ。
こういってはなんだが、一応、裏メッセージは入れておいたつもりだった。
_おれがいた頃と同じあやまち繰り返すな_
でも大半は、読み取れない。
こちらをけなすだけ。最後は、最後っ屁かけて出て行ったっけ。
それをMixi事務局に言いつけてるからご苦労なこった。
いずれ、東京、愛知、京阪以外では、雲散霧消するだろう。
いまだに47都道府県に組織は存在するらしいが、順当に行けば、「あるのは電話番号だけ」。


いつか私は、彼らを「顔面シャワー」と言ったことがあった。
あくまで他を否定し、自己無謬を決め込み、自分の思想を相手に強要する姿を揶揄したものだ。
それなら、別に「科学的」である必要はないと思うけどな。
わかってないんだよね。
理論は正しくても、それを振りかざす人間までが、いつの日も正しいとは限らない、ってことが。
あしき意味で20年前と変わらない限り、民青の消滅も、遠い未来ではない。
10年もたったら、
「民青?あったよね」
ついでにこんなせりふが聞ければ、少しはうれしいかもしれない、
「『凍てついた____』っていう小説、あったよね。でも彼らには、馬の耳に念仏、だったね(笑」
kimitoki