2011-02-01から1ヶ月間の記事一覧

T井R子について 16

初めて彼らと会った日は、コンタクトをとって、転籍手続きをとっただけで終わった。 しかしながら、やはりこれは、するべきことではなかった。もっといえば、転籍用紙を破り捨て、民青との関係はフリーズするべきだった。確かに彼らと関わっていれば、寂しさ…

いま、バカタといえば、このブログ・・・

http://blackjournalism.livedoor.biz/archives/51600628.html 下記は検索結果http://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%90%E3%82%AB%E3%82%BF&ie=utf-8&oe=utf-8&aq=t&rls=org.mozilla:ja:official&hl=ja&client=firefox-a ちなみに、「馬鹿多」で・・・ ht…

ファイナル・カウントダウン _更新打ち切りまで10000PV弱_

とはいっても、最低で、kimitokiの連載「T井R子について」が終了するまで、打ち切りはしないけど。 もし超えてもそれが終わらなかったら、前言撤回するだけ。 まさか二ヵ月半で10000PV行くとは思っていなかった。うれしい悲鳴、ってか? http://sankei.…

T井R子について15

紡績会社にいたのは、在籍期間四ヶ月で、盆休みに乗じてそのままやめたから、実質的に三ヶ月そこらだった。 ただ、この岐阜にいた数ヶ月が、以後の人生をこんにちに続く「幸も不幸もない」ものとする、元凶となった。 今回は、当地の民青との係わり合いにつ…

T井R子について14

もしも、T井の奸計にはめられてなければ、岐阜の左翼の人々の手をわずらわせることもなかったし、何より、自身の人生が、少しはましな方角に動いたことだろう。また、左翼全体の利益を考えれば、やはり、離郷の際に、「大学に行った」ことにして、最低でも一…

T井R子について13

O氏に、「赤旗を読む場所」と指定された、G民商。 しかしながら、結果的に、この組織が、特に事務局長だったNが、私の「夢」へのはたまた生への望みを、ミリからミクロを通り越してナノ単位の代物に、変えてくれた。 無論オートバイでそこに行くことになるの…

T井R子について12

的にされてる本人はどうせ読んではいまいけど、もしもこのブログ見ているなら、こう言っておこう。 「あんたの心無い言動は、私だけでなく、岐阜の左翼の人々にも迷惑をかけることにもなったんだ」 T井は、別段、野坂参三でなし、「仲間を裏切った」ところで…

T井R子について11

実家に一旦帰った<そのまま紡績会社をやめたほうがよかったと思うけど>私に数日後、民青地区委員長だったHから電話があって、T井が実家に迎えに来るそう、それで、言葉どおりにT井が小型車で「お迎え」。うれしくないはずはないが、転籍手続きがためであっ…

T井R子について10

私はその日、T井とPM7時ごろを約束した。今と違って、猫も杓子もケータイを持ってる時代ではなかった。 ところで、私は、その当時、新幹線について、ろくに知らなかった。米原駅はおろか、新幹線に乗るには普通乗車券はもとより特急券も必要だ、ということを…

T井R子について9

離郷したのはいいけれど、その頃ホームシック気味になった私は、今では考えられないくらいのさびしんぼうだった。ちなみに、離郷の際、見送ってくれたのは就職先の紡績会社の関係者と、母親だった。 綿ぼこりだらけで蒸し暑い、おまけに機織機の音がくそうる…

T井R子について8

早いもので、もう2011年は1ケ月を消化した。 近年、冬が冬らしくなり、寒いのが嫌いな私には、あまりありがたくない。 考えてみれば、T井のような人間にばかり出くわしつづけた私の人生は、季節で言えば冬続きだったとも、いえようか。 それから、なぜか先月…