多多の願いと祈りを託された人

今回のテーマを受けて、ネットでいくぶん、オバマをひもといてみた。
見ていて、うらやましくなってきた。
親類はいうにしかず、彼の周囲の人たち、もっといえばオバマ自身が関わった人々の祈りと願いを、オバマは託されているのだなあ、ということ。
眼差しがうそをついていないなら、間違いないことだ。
翻って、ぼくなんかは、幼少のころから、肉親含めた他者に受けてきた感情は、大半が「負の感情」だった。
嫌悪でなければ憎悪、忌避、侮蔑、差別・・・
いくつマイナスの意味を持つ熟語を並べたらいいかわからないくらいだ。
また、ぼくが媚びようとおもねようと、それらは変わらなかったから、どうせ同じならと開き直って、媚びなくなったし、勝ち気にもなった。何より、好き勝手気ままにやっていこう、となった。
無論ぼくに、願いや祈りを託す人はいない<ここの4人全部だけど>。



また、オバマの場合は、その、願いや祈りが、彼の人間力に直結している。
愛以外、沢山の糧を手にし、強い人間力を持った気でいるぼくなんかの比ではないくらいの人間力を、オバマは持っている。
もっとも、人心は、いつどう変わるかわからない。
せいぜい、大統領就任前と後で豹変した、などとならないことを祈る。
muramasa