T井R子について 16

初めて彼らと会った日は、コンタクトをとって、転籍手続きをとっただけで終わった。
しかしながら、やはりこれは、するべきことではなかった。もっといえば、転籍用紙を破り捨て、民青との関係はフリーズするべきだった。確かに彼らと関わっていれば、寂しさは紛れた。けれども、短期間の付き合いで終わることが必定の人々だった。どう転ぼうと岐阜は出稼ぎ先であって、永住決め込む土地ではなかった。言いたいことは、サルの腰掛けで終わることがわかりきっていたにも関わらず「仲間面」で付き合うことは、短期アルバイトならともかく、失礼なことであった。この失礼さを仮にも仲間であった私に強要したことを、T井は自覚していたはずだ。今、改めて問おう、
「T井よ、あんたが多重に『同志』を裏切って、うそをつき続けた真の理由は、一体何だ?」
やれ同志愛のなんのというキレイゴトにもならぬ冗談には、聞く耳持たない。T井がやったことは、私に対する実害はもとより、他の仲間たちに対する冒瀆でさえあった。
野坂参三の、山本懸蔵らに対して行った裏切りにも匹敵する、大罪だった。かといって、おそらく今も在籍しているであろう共産党が彼女を裁くとは思えず_____
これは私のキレイゴトだが、
日本共産党よ、貴党の正義はどこにある?党のためだけに働けば、裏切りなどは取るに足らぬことか?野坂参三のことも、文春がつつかなかったら、不問にするつもりだったのか?」


時に、天安門をきっかけに、日本の共産党に対して、マスゴミ共産主義に対する悪意あふれる報道が元凶で、世間の風当たりが厳しくなっていた。

中国共産党も、共産主義を標榜してはいたから。あの事件は、ヤナゲンの大型TVで見た。
「何かの映画か?」
とさえ思った。ナチスプロパガンダ映画並みだった。いや、ライブな分、もっと迫力があった。
かくいう私にも、この事件の影響なのか、劇的なまでに、激しい変化が、訪れていた。
ほかでもない、民商のことだ。
kimitoki