早くも10月。おそらく短い秋に・・・

さて、今月は、いかほどに・・・


前回予告で、「斎藤喜博について」語る旨申した。
でもって、スタートは、私、kimitokiから。


私にとって今もこのお人は唯一無二の「心の師」。
斎藤喜博がかつて現存しなければ、いま私はこうして拙文を書き綴ることはなかっただろう。
恐らく、私自身が、現存していなかったろうと思うのだ。
仮に現存したところで、どうかしなくて極論塀の中、きっと虫のように生きていた。
もっといえば、ただ生きるだけの人生を余儀なくされたのは間違いない。
理由?根本的なところでの「生きる理由」がわからないから。
それを教えてくれたのが「君の可能性」だった。
初めて読んでから20余年が過ぎた。
その、初めて読んだのは中学生の頃。
当時の私は四面楚歌。
否定されこそすれど肯定されることはなかった。
何をやっても自分だけが悪者。<いまも一部のものは私を毛嫌いしているが>
そんな人間が、図書館で見つけた本だった。
この本の評論は別の機会にさせていただこうと思うが、孤独だった私の心に、
唯一語りかけたお人だった。
___あえてこの表現を使う。私は、読後、斎藤喜博と会いたく思ったが、ときすでに遅くこのお人は1984年には天上だった。それから、面識がないにもかかわらず臆面もなく「心の師」と呼ぶのは、亀井勝一郎がいうところの「著書に共感を得た時、著者は師となり読者は弟子となる」を拡大解釈しているからに他ならない。
何度も繰り返し読んだ。借りては返し借りては返した。
その中で、自身を見つめることを覚えた。ゆえにいまも、「自分が正しいとは限らない」と言い切る。
そして何が自身の可能性を切り開くか、見出した答えが「小説家」だった。
___多少なり知識があり、人心が読めれば、文章が書ければ・・・・そう思い上がるもよし。
また、その、可能性を切り開くにしろ、島秋人のようになってはいけない、とも思った。
___確かにあれでは遅い。そんなにいい歌とも思わないけど。
これで文芸への道を邁進____とはならなかった。やはり私は心無い者に恵まれ、
自身が書いたものを読んでもらったところで「感受性を捨てろ」の「弟が作家になろうとして失敗した」の、
したり顔で言われるだけだった。
何より、誰にもわかってもらえなかった。挙句、心無い馬鹿教師に「なんとも思わん」と
ティーネイジにしてつぶされた私だった。いつしか斎藤喜博も忘れていた。しかしこのお人に教えられたことは
潜在意識の次元で生きていた。
やがて「可能性」の三文字は、私に夢を追う人生を択ばせた。
___だからいまは誰でもなれるネット作家。理想書店で拙著出したもんね。ざまあみろ。
それにしても、杉山清貴曰く「人は行く道の人と出会うようにできてる」
私には、余りに心無い者にばかり恵まれた。心無い人生こそがわが人生か?
運のある人は誰かが可能性を引き出してくれるが、運のないものは自身で可能性を引き出すしかない。それにしても私には、干渉なり妨害なりする者はいても、アシストといかなくても黙ってみてくれる人さえいなかった、辛く、苛酷なものだった。
「小説家」を夢として捉え、それを追いかける中で、「新井流時」_かつてのペンネーム。二人に一人が読めなかった_というペンネームを、「どうせなら新しい時の流れを作れるくらいのものを」てな願いをこめてこさえた。_いまのkimitokiには、いまからほぼ10年前に改称した。_
そんな私だから、「持てる限りのテクノロジーとフォース」を拙稿につぎ込んだ。ただ、読み手の大半には、「面白い」と言ってもらえた。考えるまでもなし、小説家としての何よりの天分は「面白い」かどうかに尽きるか?また、批評はすべて甘受した。それから実のところ、ちゃんとした小説というか文章の書き方は、大学の先生にぼろかすけなされながら教えられた。
___この先生もまた、斎藤喜博の理解者だった。


斎藤喜博との再会とも言える、大学に入った年、そこの図書館で6年ぶりに「君の可能性」を見たときは、まるで旧友との再会を果たしたようでうれしかったのを覚えている。また、全集も全部ではないが読みはした。その中で沢山の言葉、沢山の「心」、沢山の「技」を教えられた。ゆえにいまも「心の師」と位置づけている。
またの機会、このお人については書くつもりだが、いまの私は、剣道用語でいうところの「守・破・離」の「離」の段階に達した。思い上がりを込めて言えば、私は斎藤喜博から抜け出したし、キハクイズムをものにした気でいる。何より、自身にしかないものをカタチにしたつもりだ。
とりあえずのしめくくり、斎藤喜博は、ご自身にすがることを許さない。自分がない人間を最も忌み嫌った。
「私も先生と同じことをする」
「私はそういう人間が最も嫌いだ」
といった具合。
このお人にできる恩返しは、少しでも多くの人にわが心の師を知ってもらうことだ________