12年・・・

結果的に、それも「デマンド」という条件付での出版に、これだけの時間がかかった。
書き始めは、1993年。
書き上げるのに、2年かかった。
この小説は、はっきりいって出来にムラがある。私の、進化の過程に伴う、そのまんまだ。
20代半ばのときに書いた代物だから、これでも、自身では大目に見れるところがあるが、
30代半ばでこの出来だったら、笑いものだろう・・・
情景及び被写体の描写に弱点を抱えるのは認める。
しかしながら、「面白さ」だけなら、一線級の書き手にもひけをとらない。
これが私の天分なのだ。


何度か、いや何度も、か、書き直そうと思った。
しかし、これは、「新井流時」という書き手の、時の記録なんだ、と位置づけ、それをやめた。


この小説を書き上げたことで、なまじ自信を持ったことは確かだ。
斎藤喜博に教えられた「可能性」を、開花とまでいかなくても、切り開いた自身を、この小説に感じ、
さらに、書きながら進化してゆく自身をも感じた。
ただ、10代の出来事が基なので、加齢にともなう記憶の限界、そしてそこからのイメージを考えたら、24歳が精一杯だった。
その分書き急ぎ、24歳の終わりがけに、「完成」させることを余儀なくされた。
それでも、ネタがネタだから、「出せば当たる」とは思っていたが____


最初、新風舎に送った。
サンプルとして、自社の本を2,3冊くれたが、いずれも3ページそこら読んでぽいした。
ついでに結果は、原稿返された。
それから、「日本図書刊行会」に送ったが、突き返された。
_立派とは思うが当社では扱いかねると_
読売の出版局に持っていったところで、自費で100万、といわれ、断念。
ちなみに本のローンって、銀行の審査並みに厳しい、とこのとき聞いた。
生活に追われる中、それでも、自身の主宰した同人で、小刻みに<連載扱いで>発表したりした・・・
そうそう、一度、宝島に売り込んだことがあった。
編集長直々のご対応だった<「垂れ流し」報道の意味もわからぬお人だったが>、でも後日、
「読む暇がない」という「理由」で、返された。
そうして、金がないのも手伝って、単行本としての刊行はいつしか、あきらめていった・・・
何人かのお人に読んでもらったところで、「面白い」。
この評価がほぼ共通していた。
でも刊行には程遠く・・・
気がつけば、30代、運もない縁もない・・・それでも、一縷の望みだけは、持っていたつもりだった。
英治出版の「ブックファンド」に送ったこともあったが、ぼつ・・・
21世紀に入って、5年そこら経過した頃、
「何とか物書きで・・・」
の気持ちで、何年もPCのワープロに打ち込むのをサボった<後半部>この小説を、ワードに打ち込んだ。
200枚くらいを、半月かけて打ち込み、校正やって、いきなりPDFにて変換したのは、35の終わりだった。
時間が、かかりすぎた。
ちなみに電子本の存在は、勤くんの話がきっかけで、知った。
ようやく打ち込んだものは、でじたる書房で出し、さらに、文芸社ボイジャー社に送った。
文芸社に送ったときの顛末は、HPに書いたとおり。
ボイジャー社は、TTXファイルに変換の必要性からか、シフトJISでの入力を要求してきた。
また、「体裁整えて」とも。
そのシフトJISがわからず何日も懊悩したが、調べた結果、「秀丸」で可能と知った。
それで何度かやり直し、最後はボイジャー社のお人が手直し、理想書店に出してくれた・・・
これは、うれしかった。
この時にデマンド本の存在を意識していればよかったのだが、
毛頭浮かばず、理想書店にアップしてから半年以上経って、ようやく気づいて、問い合わせたところ、
数万でできる、ときいて、出すことにした。
そして、今年2月に、刊行____
実感は全然なかったが、届いた本を手にした刹那、自分で言うのも何だけど「手ごたえ」ははっきり感じた。
既述のとおり、ワニブックスのカバー無しみたいな感じだ。


書き上げて、刊行まで、12年が過ぎた。
そしてようやくできた、私には、金字塔。
何より、糧と名前を<旧名だけど>はっきりと残せたことが、うれしかった。


遅すぎる。
しかし、出るか出ないかでは大違い。
ただやはり、20代の頃に、出せていれば____
これは何度も思う。


安倍極右内閣の現今だから、ある意味タイムリーかもしれないが(大爆笑
kimitoki