ナチスに学ぼう!

このタイトルないしテーマは、ためらいを覚えたけど、やってみたくなった。
ナチスを」学ぶほどの学力があろうとなかろと、今年、デムヤンユク逮捕に始まった?世界的なある種のナチブーム?もあって、ここの4人は「見る」ようになった。


ナチスないしヒトラーについて、はっきりしていることは、
「賢者は学び、愚者は拝む」
これはどう言い繕おうと、不変の事実。


ここまで書けば、いかな代物になるかは、論を待たないかもしれないけど。
例えば、
白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」
では、ナチズムの信奉者以外には、決してナチスはありがたくないもんだった、という当時の世相が、浮き彫りになった。
しかしながら、ゾフィ−・ショルを演じたユリア・イェンチの演技には、多々疑問符がついた。
日本国の、見る気もしないへたくそ役者ども<特におジャニー系>を思えば、格段いい。でも、どう贔屓目に見ても、イメージの仕方に問題があったと、言わざるを得ない。
また、演技に、ムラがあった、とも。
大体が、いかに学を積んでいても、21歳の女であそこまで冷徹に、「泣く子も黙るゲシュタポ相手に、対峙できるものじゃない。
何より気に食わなかったのは、仲間をかばうためにうそをつくゾフィーの目も、通り一遍、うそでないことを答える彼女の眼差しも、全く同じだったこと。
台詞回しが同じなのはいい、でもせめて、眼差しくらい変えないと、観る者はわからない。また、いかな凄腕詐欺師でも、それすらなしにうそを言い続けることは、まずあり得ない。
取調官のモーアでなくてもぶち切れる。
「若いから」「未熟だから」の一言で片付けるのは簡単だ。
でも、ある種の「震え」を体現できていなかったことも確かで、そこにもまた、この上ない不満を感じる。
ラスト近くの、「肉親との別れ」でも、めそめそを強要しないまでも、もっと濡れそぼったような「悲しさ」を体現しても、罰は当たらない。


といった具合だ。
一体何を学んだやら。
inferno4