T井R子について 5

1989年、進学に失敗した私は、気を取り直して?勤労先を探しに、職安通いが続いた。
___後日、名古屋の民商に勤めることとなった私だが、そこにいた先輩さんに、赤い大学のOBがいた。彼は私にふとある日、”ホントに金がなくて入れなかったのか”と訊いたから、頷いたら、”あの大学なら、金がないだけだったら、何とかなる方法があったんだ”嘆き気味に言った。この時にはっきりしたのは、T井は私に、うそを繰り返していた、ということだ。気持たせだけを言い続けたのだ。これ以上の愚弄はない。こんな女に限って神の加護はあるのだろうけど、やはり私はT井を、許すことはできない。一生、憎み続ける。
どっちにしても、多々忌まわしい記憶がある田川だけは出て行きたかった。それは首尾よくいくのだが、左翼の連中にも伏せたまま、行くべきだったし、そうするつもりだったが、これをT井に妨害され、しくじる。自分にうそをついてでも伏せ切れなかったことは、後々、私に多多の災いを呼ぶこととなった。


ここで一つ、言っておこう。
大学云々についてだが、私自身は、高校のときに馬鹿な先生様に潰されてやる気をなくしていたせいもあって、そんなにまじめに勉強していなかった。よって、入れればどこでもいいや、程度にしか思っていなかった。赤い大学は、その選択肢のうち一つ、くらいの考えだった。絶対ではなかった。ただ、T井にとっては、それではだめだったのだ。助ける気は毛頭なくても、左翼からの足抜けは許さない、ついでに私の「幸せ」=夢を現に変えて、職業作家となること=も許さない、つもりだったのだ。この年の進学をあきらめたことをメスダヌキにさえ伏せていれば、今頃はもう少しましな人生を歩んでいたかもしれない。出る幕のないへぼネット作家でなし、太宰治とまでいわなくても、山川健一さんみたく、職業作家にはなったかもしれない。
___そういえばT井は、小説云々は小林多喜二宮本百合子のことばっか、言ってたかな。太宰のこと?ネガティブ、暗いで片していた。日本文学で史上最高の作家なのにね。
しかしながら、さもやさしげなT井の思惑なぞ、当時の私に読めるはずは、なかった。
kimitoki