T井R子について6

ただ、T井が押し込みたがった赤い大学については、自身にとっては「選択肢の一つ」であった。でも「何が何でも行きたい大学」ではなかった。確かに、大学自体は、「勉強できる環境」が欲しかったから、行きたかった。とはいっても、「入れればどこでもいい」は間違っていた、と思う。やはり、ある程度の難易度の大学を目指すべきだった、まして職業作家を目指すなら。そのことも、今日の元凶となった。入る高校を間違えると、「入りたい大学」よりは「入れる大学」に目を向けるものかもしれない。かくいう私は現在40歳。歪んだ人生、歪められた人生は、もうどうすることもできない。
脱線してしまったが、私がT井で何より許せないのは、心を動揺させ、それに付け入って、偽善を働き、人生を狂わせたうえに最後は裏切ったことだ。T井が、このブログの、怨念を込めた記事を見ている確率は低い。でも、一矢くらいは報いてくれよう。私が書いた記事がもとで、民青を離れる者が続出したり、勧誘されても拒否する者が相次げば、その原因は、T井の偽善であり後述する裏切りであるからだ。それらがなければ、私はこんな記事、書いたりしなかったのだから。
いい加減に閑話休題
当時の、今より愚かだった私は、T井に「黙って出て行かないでね」などとたぶらかされて、よしみを覚えることはあっても、現在のように憎しみを覚えることはなかった。
東海地方の現在は倒産した紡績会社に「出稼ぎ」に行くことが決まり、そのことを電話で報告した時だった。
「民青のみんなに、ホントのこと言って」
やぶからぼうに言われたこの言葉に、T井の本質を見抜けなかった私は、実に愚かだった。
以下次稿。
kimitoki