手のひらに乗せてやりたい・・・

かつて、ずいぶんと「先生様」らにいじめられたぼくなんかは、
畠山鈴香」が、小学生のころ、食べ残しを手のひらに置かれる、といった「刑罰」にかこつけたいじめを受けた、と聞いて、その「先生様」の手のひらに、彼女が殺めた子達の遺骨を置いてやればいい。
そう思った。
「あなたの教え子の業だよ」
「先生様」、誇らしく思えないか?
ぼくも、心無い「先生様」共にずいぶん傷めつけられた。
でもここまで、ひどいのはなかった。
食べ物の云々を教えるにしては、あんまりにも苛酷。まして女子。
今も「先生様」共を憎んでいるぼくは、この点では彼女への同情を禁じえない。


心無い者たちに恵まれた、という点ではぼくら4人と共通しているかもしれない。
ただ、決定的に違うのは、「可能性」の3文字が、脳裏にあったかどうかだ・・・


流れのない文章で恐縮だが、かつてぼくに、
「(何をしようと)何とも思わん」
そうほざいた馬鹿「先生様」は、今年死んだ。
ぼくの手で裁けずに残念だった半面、正直、「ざまあみろ!」と思った。


畠山鈴香」へ。
あなたの業は決して許されるたちのものではない。
しかし、心無い人間たちに恵まれた悲哀はよくわかる。
だからせめて、生あるうちに、「手記」を残すべきだ・・・
muramasa