自省

このブログをこさえて一年半以上が経った。
最初のころ、生ごみ(もしくはねらー)をだしにしたからか、我々のこさえたブログにしては、閲覧数が多い、いいことだ、と思う。
_そもそもの目的は、宣伝とねらー刻みだったけど_
とはいうものの、やはりIP生さらしとコメント切り刻みゆえか、我々以外に、コメントも何もない、ある意味さみしいブログとなった。
_生ごみもしくはねらーが陰で「暗躍」したと思しいが_
だからといって、我々の行いが、間違っていたとは思わない。
_人間、自分が正しいとは限らないけどね_
しかしながら、最近、我々は、やるべきことをやっていない自身に、気づいた。
他でもない、上梓。
図書コードを持っていながら、やっていないのだから、「さぼってる」と言われても仕方がない。
翻って、そりゃあ我われが、しょこたん並に人気があるなら、電子本で充分だろう。
しかしそうではない。
_嫌う者は多かろうけど_
だからせめて、キンコーでいいから製本したものを、出そうと思った。
また、製本、流通しないことには、「出版社」扱いされないことにも気づいた。
_当たり前のこったけど_
出版は別段、出版社でなくてもできる。出版社の特権とは限らない。
出版が副業の会社なんていっぱいある。
ついで申せば、いま、売れている本は、でっかいおまけつきの「本」だ。
WBSで、本屋が「スペースがなくて困ってる」と嘆いていた。
少し脱線したけど、持ち会社が、「出版社」である以上、出版しなくてどうするんだ、と思った。
売れなくても、やらないでどうする。
やるべきことをやらなければ、いくらおだを上げても、どこからも取り合われない。せいぜいお水に持ち上げられるのが精一杯だ。
何より、糧を残せない。
昨年は、逆だった。
人と金を求めたゆえ宣伝にかまけて、やるべきことをやっていなかった。
せめて何冊か出してから、宣伝に腐心するべきだった。
出すものが電子本では、不充分だった。
_「凍てついた_____」を除いて_
たとえて、陳昌鉉が、バイオリンをつくらないで、どこにでも売り込みに行っただろうか?
_篠崎教授に見出されたことは、何よりラッキーだったろうけど_


努力の仕方を間違えていたのは確かだった。
どれだけ挽回できるかはわからない。また、挽回したところで、時は還ってこない。
なくしたものは、甚大かもしれない。
でも、やるしかない。
生ごみが邪魔なら、蹴散らすだけなのだ。
何をやってでも、為すべきことをなさねば、我われに未来はない_____

inferno4eva