心の師を悼む

サミットごっこにしようか、と思ったけど、や〜めた。


これで、少なくとも、24日まではやろうと思った。
サミットごっこは、折見てやります。
_ただし24日以降とは限りません_
ただ悼むだけでは芸がないので、我々四人が、何かしら短歌を詠うことで、悼もうと思った
_都都逸どころか狂歌という話がある_
斎藤喜博がなくなって27年。
教育?ジョークでしょ、てな世界になったようだ・・・
きょう、いく〜ってか?
最近知ったことだが、このお人の誕生日は、ぬわんとkimitokiと同じ日だった!
ほんと驚いた。
偶然にしても、驚いた。
師と弟子は、時を越えて・・・とでも感傷に浸りたくなるけど、我々がやってもしょうがないこと。ただでさえ、悪影響で、こそあど言葉がついつい出て、気をつけないと文章が指示語だらけになってしまうくらいだ。
とはいえ、我々に最も影響し、何より、生きることの意味を教えてくださったお人だ。
生きることの意味がわからず悶えている人は多いと見えるが、ならば、我々がかつてやったように、してみるといい。
「君の可能性」を読んで、読後、徹底的に、自己を見つめなおす。
自分のいいところはもちろんだが、悪いところも、目をそらさずに、凝視する。
当然、現在および過去の自分も、見つめなおす______
その中に、何か一つ、光るものが見えてくるはずだ。
プラスの何かが。
そこに、本稿を読んでいるあなたの可能性ともいうべく、生きることの意味が、きっと見えてくる。
斯書がなければ、今頃我々は、無間地獄にでも堕ちていたであろう。
_ねらー諸君、残念でした_
生きることの意味がわかっているから、生きる気くらいにはなるのだ。
人によっては蛇蝎、いやごきちゃん並に忌み嫌われている我々でさえ、そうなんだから、凡庸な御仁なら、何かに可能性を見出せば、加藤某みたいに、ヤケクソ通り魔、なんてならなくて済むはずだ。
マイナス面を見つめるのは、辛いかもしれない。
でも、一生の糧を見出せるなら、決して安くなかろうし、避けることはない。
逃げれば、きっと死ぬまで後悔する_____
inferno4eva