ねらーなど敵ではない

http://sankei.jp.msn.com/world/europe/101014/erp1010141550002-n1.htm


表題の言葉の意味は、説明するまでもなかろう。私の人間力の前では、そんなものだ。
リンク先の主題であるヒトラーは、おのが生を「我が闘争」と聖化した。それにしても、よくもまあ、1000ページそこらもしゃべれたものだ。
ヒトラーユダヤ嫌いの発端は、何でも、ウイーンにいたころ見かけた、東方ユダヤ人の不潔なさまだと。
それがアジトに出入りするさまを見たことがきっかけで、嫌いになったとか。要するに、ゴキ公嫌い、毛虫嫌い、の次元なのだ。


アドルフ・ヒトラーについては、「歪んだ思想を抱えた紳士」でいいだろう。
私なぞよりは、よほど「上品」だったみたいだ。
たとえば私は、平気で、このブログを見てもわかるように、女を相手に下ネタぺらぺらだが、ヒトラーは、そんなことは一切なかったと。もっといえば、禁酒禁煙の菜食主義者
なのに晩年はパーキンソン病にかかっていて、主治医のドクター・モレルに盛られたのは、副作用たっぷりの劇薬ばかり。薬物中毒になったのはいうまでもない。
ユダヤ人ばかりかアル中でさえT4計画でじゃんじゃん殺しまくってたのに、ご自分はそんなありさまだ。
また、ヒトラーか、同じく薬物中毒だった国家元帥のゲーリングかのどちらかが、ヤク中でなければ、ナチスは戦争に勝ったかもしれない。


閑話休題
私の「闘争」は、小説がためのものであるべきだが、去年、職業作家を<暫定的に>あきらめてからというもの、なんだかエネルギーが沸かない。
あまりにもの不人気に、4年書き続けたアメブロも、事実上更新を打ち切ったくらいだ。
また、よき運と縁がなければ、芸事はどうしようもない。
私が本を出してるV社など、売れても印税寄越さない。
ついてない物書きなど、こんなものだ。
邪魔する者はいても、アシストする者はいない。
これらの現実が、私にナチス化を選ばせた。
ナチス化したら、一時的にはいいだろう。しかし、いつまでも続かないし、いつかわが身を滅ぼすであろう。でも、やるしかない。
私は、心無い神々と戦うために、ナチス化した。
よってこれからは、ここの3人と共に、神という名の敵どもと戦う。
それが、「わが闘争」。
kimitoki