T井R子について8

早いもので、もう2011年は1ケ月を消化した。
近年、冬が冬らしくなり、寒いのが嫌いな私には、あまりありがたくない。
考えてみれば、T井のような人間にばかり出くわしつづけた私の人生は、季節で言えば冬続きだったとも、いえようか。
それから、なぜか先月、ページビューが4000オーバー。
このブログにとっては、「記録的」であった。この調子で行けば、あと3ヶ月で、更新は終わる・・・


閑話休題
私に対するT井の言動=ほぼ本心で、間違いなかったことは、いくつかある。
・馬鹿にしていたこと。
・信用していなかったこと。
・うそをつき続けたこと。
・本音を決して言わなかったこと。
・何より、如何な損得ゆえかわからないが一も二もなく赤い大学に押し込みたがったこと。
これが、「人を変える」の「世の中を変える」のと、常日頃ぬかしている者が「仲間」に対してやることだ。こんな人間にはめられたところで、見抜けなかった方が愚かなだけ、としたり顔でそしられても、仕方ないかもしれない。しかしながら、一顧していただきたいのは、「さもやさしげ」な者は、それらを簡単に見抜かせない、ということだ。
また、当時の私は、芸術レベルで自身を嘘で糊塗した者に対して、愚かにも真心で応じていた。だからこそ、「ここだけの話」を話した。何より愚かなことに、ヒポクリットを好いてしまいさえした。
ヒポクリットは、秘密をばらすことを強要した見返りなのか、離郷前に「就職祝い」名目で、ぼちぼちの肉をごちそうしてくれた。それもあって私は後日、伏せていた「進学しない」ことを他の民青の連中に話すことを、余儀なくされた。
今更どうにもならないことだが、もしT井が私の「ここだけの話」を伏せっぱなしにしたなら、きっと左翼を去ることはなかった。私はT井と違って、「誠」のわからない人間ではない、20年前も20年後もそれは変わらない、少なくともそのつもり。一時的に「所在不明」になっても、あとで、行路が明確になってから左翼に復帰すればいい、という考えだった。もっとも、こちらを信用していなければ、それを一欠けらでも思うことはなかったろうけど。
ゆえにT井は偽善を働き、遅まきながら気づいた私の恨みを後年、買うこととなった。
ほどなく私は、今も忌み嫌っている田川を離れた。
そして、半分以上はT井のせいで「やるべきことをやれなかった」私は、自身の人生に多多の災いを招くこととなった。
kimitoki
まだまだつづく