T井R子について9

離郷したのはいいけれど、その頃ホームシック気味になった私は、今では考えられないくらいのさびしんぼうだった。ちなみに、離郷の際、見送ってくれたのは就職先の紡績会社の関係者と、母親だった。
綿ぼこりだらけで蒸し暑い、おまけに機織機の音がくそうるさい、ひどい環境でしかも休憩時間は食事時の1Hのみだった過酷な会社、寮はタコ部屋。四人一部屋。トイレ風呂、ともに共同。プライバシーもへったくれもなかった。
どう考えても入る会社を間違えたせいもあってか、日ごと実家に電話したものだった。また、T井にも、何度か電話した。手紙さえ書いたが、「返事書こうと思っていたところ」何度目かの電話で、彼女が口にしたことだったが、返事がくることはなかった。考えてみなくて、
「口じゃ何とでも言える。事実は裏切らない」。
たぶらかしている者に本音を言うほどヒポクリットは悪い意味で愚かでないし、真心の類を手紙に記す必要などない。
日増しにホームシックを覚えた私は、GW期間に、帰郷しようと思った。
なぜか近くに、名鉄の駅があった。
そこから、その年に死んだ昭和天皇の誕生日に、忌み嫌っていたはずの生育地に、戻ることにした。
T井にそのことを告げると、「じゃ小倉駅で待ってる」
kimitoki
まだまだつづく