T井R子について11

実家に一旦帰った<そのまま紡績会社をやめたほうがよかったと思うけど>私に数日後、民青地区委員長だったHから電話があって、T井が実家に迎えに来るそう、それで、言葉どおりにT井が小型車で「お迎え」。うれしくないはずはないが、転籍手続きがためであって、向こうは何ら私に感情を見せなかった。事務所には何人か、他にも面子が居た。なので、用事が終わったところで酒の話にはなっても肉の話になることはなかった。その、「仲間」たちとの酒の席で、結果的にすっぽかしになった日のことを説明し、わびたところで、私を、
「うそつき」
とただなじった。ヒポクリットにうそつき呼ばわりされては、立つ瀬がない。
非は確かに、自身にあったかもしれぬ。でもこちらは、ある意味決死の思いで動いた。それを一顧だにしない言動を見せた時点で、彼女の冷酷な本質を見抜けなかったのは愚か。偽善を働く人間で、心のあたたかい者などいない。それゆえか、飲み会の後で、後日共産党の上役に詫びるのにつきあって、と言ったところで、
「自分でやって」
民青以外でつきあわない、ということか。そのくせ、酒の席では、私が赤い大学に来年入る、などと、決めてかかり、無言の圧力を加えたのだが。これも本人は、「アドバイス」というのだろう。お水でもここまでのうそつきは、なかなかいないのだが_____
私にとって、赤い大学は確かに選択肢の一つだったが、「是が非でも」ということはなかった。「職業作家」を夢見ていた私だから、3流どころか末流でも、出版社の9割が集中する首都圏の、大学に入ることを思っていた。
後日、共産党の上役に、無断の離郷を詫びて、こちらも転籍手続きした私だったが、これは、ある程度行路が見えたであろう、最低でも一年後にやるべきことだった。たとえて、「できちゃった結婚」を詫びて待つカップルはいないだろう?
その目論見を壊したのは、T井の偽善だった。また、それゆえに、岐阜の左翼と関わることとなり、これが私の人生を、決定的に壊すことになった。また、結果的に、彼らに迷惑をかけることとなった。


ホームシックが治り、GWの終わりついでに、実家に残していたオートバイにまたがって、出稼ぎ先の会社に戻った私は、折り見て、当地の左翼の人々と会った。その中には、のちに県議になるO氏もいた。
kimitoki
まだまだつづく