T井R子について13

O氏に、「赤旗を読む場所」と指定された、G民商
しかしながら、結果的に、この組織が、特に事務局長だったNが、私の「夢」へのはたまた生への望みを、ミリからミクロを通り越してナノ単位の代物に、変えてくれた。
無論オートバイでそこに行くことになるのだが、お迎えは、その、N。おでこが広く、髪がその割りに長かった、中肉中背の中年だった。
初対面の時、やぶからぼうにいわれたのは、愛車だったTZRに乗って九州から東海にやってきたことをたたえたかと思うと、
「考え方が違うな」
どうやら、Nは私のエッセンシャルな、いやサブリミナルな部分を見抜いていたようだった。当時の私は今と違い、斎藤喜博を、ほとんど忘れていた、可能性、の三文字を私に教えたお人であるにも関わらず。それでも、看破していたのだから、称えるに値するか。ただこれは、裏を返せば、共産党員は、日本共産党の考えなり党是である科学的社会主義なりをモノにするのでなく「日本共産党の考えに忠実でなければならぬ」つまり、自分がないことが是、ということになってしまう。
そんな私に、Nは、これまたやぶからぼうに言った。
民商に入らんか?」
このせりふは、最初、冗談だと思っていた。
しかしながら、これは、笑えない冗談どころではない、冗談から出たまこと、の次元で、私に重くのしかかることとなった。
kimitoki
まだまだ続く