T井R子について14

もしも、T井の奸計にはめられてなければ、岐阜の左翼の人々の手をわずらわせることもなかったし、何より、自身の人生が、少しはましな方角に動いたことだろう。また、左翼全体の利益を考えれば、やはり、離郷の際に、「大学に行った」ことにして、最低でも一年後に、かくかくしかじか、とやるべきだった。たとえて、できちゃった結婚を事前承認するお人よしはそうそういないのだから。しかしながら、前にも述べた、「仏心」が、自分で言うのもなんだけどよき意味での真心が、私の人生を狂わせ、悪いほうにやったのだから、世話ない。世の中には、T井のように、心の動揺に付け入り、偽善を働き、人の人生を狂わせたところでそ知らぬ顔の者もいる。それが、世の中を変えるの人を変えるのと言ってる者のやることだから、始末が悪すぎる。
明言できることは、私の真心をふみにじり、人生をめちゃめちゃにし、ただでさえ薄い生の望みを絶望的なレベルにまで押し下げたT井R子が、絶対に許せない!ヒポクリット死すべし!


出稼ぎ先の会社の悪環境と、低賃金と、そこに見合った「会社員」にうんざりだった私は、労働が終わり次第会社の、たこ部屋寮を含めた敷地内をオートバイでいつも出た。
オートバイで訪ねた、岐阜の左翼の人々についてだが、私が所属した班の共産党員の人たちは、概して親切だった。顔はともかく中身はキレイな人たちだった。相手の立場でモノを考えることのできるお人たちだった。うち一人は、後年、赤旗に出たことがあった。ただ、そんな人たちに、目的を伏せざるを得ず、短期の付き合いで終わることが確実だったのを押し黙るのは、心苦しいものがあった。こういうとき、「やるべきことをやれなかった」つけが、重くのしかかった。T井のような、真の意味での人でなし、ヒポクリットには永遠にわからぬ感情だ。この女の妨害、干渉がなければ、彼らに迷惑をかけることもなかったし、私も呵責に似た感情を覚えることはなかった。
kimitoki
まだまだ続く