斎藤喜博生誕100周年

連載?次、次!!


案の定、マスゴミが取り上げることのないこのお人、今日で生まれて100年を数えた。
逝去は1981年7月24日だが。
この国の「教育システム」が、「管理教育」を基調としたものに変わり行く頃合に、このお人は亡くなった。
日本国では「管理教育」が「定着」した結果なのか、こんにち見かけるのは、ねらー共に代表される知識量至上主義の頭でっかち、半面、思考力創造力がない者たちで、それらが量産されることとなった。
閑話休題
繰言じみてくるけど、私はこのお人が過去に現存していなかったら、
「新井琉時」
と名乗ることはなかった。
つまり自殺して、それどころじゃなかったということ。
そのくらい、四面楚歌だったし、何より、「可能性」を見込みとか確率的な意味合いでしか知ることがなかった、間違っても自身に対する望み等といった意味合いを知ることはなかった。
邪魔、妨害、干渉、否定するものはいても味方のいない自身の人生は絶望的だった。
そんな私に、自身の持つ可能性を見出し、そのうえで「自身の可能性を切り開く」ことを基調とした、「生きることの意味」を教えたのが斎藤喜博だったから、私はこのお人を、「心の師」と位置づけた。
_自身の可能性を見出したい者は、自己を徹底的に、どんなに目を背けたい部分があっても見つめなおすことだ。過去、そして現在、自身の取り柄は勿論マイナス面も。そうするなかで、自身の、どこかに煌きをもった物を見つけたら、それがご自身の持つ「可能性」だ_
かつて、職業作家という夢を追いかけたのも、「可能性」がベースだった。
ただ、芸事を職業にするには、余りに運と縁がなかった。
それでも、望みを捨てずに20年余、かつての私はおのが可能性のために生きた_____


いまも、70歳止まりだったこのお人の生を、残念に思う。
kimitoki