T井R子について29

一方で現実は、A県の民商から内定があったわけではなく、かといって紡績会社に戻る気はさらさらなかったが、「保険」として残しておきたくはあった。肉親の身体の不具合を口実に岐阜の会社に戻らずにいたが、出張所の者が、民商の話しがどう白黒つくかの目安に定めていた月末まで待ってほしいのに、22日ごろに、
「どうするのか早く決めろ」
というから、「待てないというならやめる」
そう答えたら出張所のじじいは怒ったが、結局退職。ただ、確かに、未練はなかった。
もう、蒸し暑いところで、動き回らなくて済むこととはなった。
そして、A県の民商からの連絡を、肉親に何を言われようが、待った。
結果、月末近くになって、「求人が見つかった」と連絡があり、面談に行くこととなったが、もしうまくいけば「他の選択肢」がなくなることを、意味した。
何はともあれ、月末に私はオートバイで、N市に行った_____
kimitoki