T井R子について 31

手紙そのものは、当然ながら現存していない。中には書いた手紙をコピーして保存するお人もいるかもしれないが、不精で大雑把な私がそれをするはずはない。よって、自身の記憶が頼りとなるが、大体下記のように、T井に書き送った。
1.H民商に入局したこと。
2.無論赤い大学への進学も認めてもらったこと。
3.それでも、今更ながら、もし赤い大学に進学しなくても、黙って見ていてくれるか、ということと、その大学のことで、岐阜にいたころから民商への勧誘があり悩んでいたこと。
4.それから、「キャンプ」が流れて、キャンプごっこで茶を濁されたことは残念だったということ。そりゃそうだ。T井とのツーショットさえ目論んでいたのだから。その時に、一切合財はなしたかったというのに____
すると、紡績会社にいたころは彼女からの返信を一日千秋の思いで待ったものだったが、まるで手のひらを返したがごとく、とんぼ返りで返書が、返ってきた。
それでも、拝復も前略もなく、えせ隷書で
「手紙ありがとう」と始まる文面に、違和感を覚えた。
民商入局について、「よく決心したね」
と、まるで他人事のように書いていたのには驚いた。それからは、T井自身が赤い大学にいたころの思い出話を書きつづり、肝要な項目3に関する回答は全くなく、項目4については、「悪いことをした」とだけ、書かれていた。
手紙の締めくくりこそ、職業作家を目指していた私にさも呼応するかのように
「わたしも夢をあきらめない」としていたが、
心からの問いには、答えていなかった。
もしもT井が人の心を持っているなら、イエスノーは別に何かしらの形で答えるのが自然だろう。

これに黙っていられなかった私は、数日後、T井あてに、手紙を書いた。
概要は、下記の通り。
1.この四ヶ月、どんな思いで過ごしてきたと思ってるんだ。
2.赤い大学に絡むことは、あなた(T井)への誠ゆえだった。
ところが、こんどは、何日経っても、何週間経っても返事がなかった_____
私は、はっきりと裏切りを感じた。1989年は秋のことだった。
T井が私に見せた、さもやさしげなものが偽善だったことに気づいてからはこの女に憎しみを抱き、同時に、左翼から気持ちが、離れ始めた。
kimitoki
まだまだ続く