T井R子について 32

結果的に、長い長い連載になったこの記事だが、もうすぐ終わる。


それからの私は、左翼との縁を悉く断ち切った。
ただ、不本意ながら、離党を認めない共産党については、「12条党員」という形で籍を離れた。
おかげで、今もほとんど実空間では一人ぼっちだ。少なくとも、精神的には孤独。
後年、T井が在籍していた授産施設に、退職していたところで「出せば転送しようか」くらいの気持ちで、恨みつらみとまやかされていたからとはいえ「好きだった」と手紙を書くと、驚くことに、返信が来た。
「わたしのアドバイスがもとで不幸になったならおわびする」

人の人生を干渉したうえで歪めて、めちゃくちゃにしといて、この言い草だ。それでもって、大阪にとついだものの内股の子供を生んで、不幸になってるといわんばかり、他人に同情を押し付けるような文面だった。もう15年前だ。もちろん本文は現存しない。また、前記事での「2通目の手紙」は「届いてない」だと。どこまでも度し難い偽善者だ。


今にして思うと、T井はヒポクリットだったのではなく、サイコパスなのではないか?
http://www.psy-nd.info/
もしそうだとしたら、私はサイコパスにたぶらかされた愚か者だ。


いずれにしても、この一連の記事を読んだ人は、理由のいかんを問わずに気持ちが揺れ動いている時に、やさしげに近づいてきた者には用心しろ、とだけ申しておく。
さもないと、私みたいに、不本意な半生を送ることとなる。
T井R子は、はっきりと不本意な半生もしくは人生の元凶となった。
20年にわたった「可能性」がための戦いの敗因は、この女ゆえだ。


いくら嘆いても、時は還ってこない。
ただ、T井R子みたいな、心無い者たちに恵まれ、アシストしてくれる者に恵まれなかった私だが、「可能性」の3文字が、私を本当の意味での「崩壊」から救い、生きる望みにさえなっていた。
この言葉を教えてくれたのは、斎藤喜博だ。
だから今も、このお人を「心の師」と位置づけている______
kimitoki