あまりにも、一条の光が射すのが遅かった・・・

深淵の、無間地獄並みの闇の中、かつてのぼくは、「可能性」この三文字にのみ、表題の、「一条の光」を見出した、もう、20年前のこと。
その「可能性」は、小説に託した。
今でこそ、ただのへぼライターだけど、若き日のぼくは、純粋に自分の可能性を信じて、小説家を目指した。美化すれば、夢を追いかけていた、夢追いだった。
その生き方は、決して間違っていなかった、と今も思う。
しかしながら、芸事でモノになりたいとしたら、ぼくは、余りに運がなかった。
「運が無い」
これだけで、いっぱしの、職業作家になれない理由としては、充分だった。
思えば、ぼくが出くわした人種は、
偽善者
裏切り者
無神経者
中傷者
足引っ張り
各種妨害者
その他心無い者共
これらが、大半だった。
芸事でモノになりたかったら、
理解者
サポーター
タニマチ
どうしても、この3種類の人種が必要なのだが・・・ぼくとは、ほぼ無縁だった。
極端にたとえれば、ケンシロウみたいに、だれかれとなくついた者だけが、モノになれる・・・


ぼく自身の力不足を神棚に上げる気は無い。
しかし、前述のことは、現実ではある。

もっと、現実を口にすれば、いかにぼくが的を射たところで、
「だから何だ」
で終わっている。嘆かわしいが、やれ共感の何のと、無縁なのだ。
島秋人は、ついていた。
歌人としてモノになるにはあまりに残酷な時分だったが、歌集を後世に残せたのは、「誰かがついた」からに他ならない。
死刑囚ネタが売りになった点は否めない。
しかしながら、あの程度の短歌でも、後世に残った最大の理由は、誰彼となく島についたからだ。
誰もつかないのがぼくの宿命だとしたら、それはそれで甘受しよう。
関わるべき人間を間違えたのも、手持ちの金の使い方を間違え続けたのも、ぼく自身。
運が無いうえに、間違えていたら、どうしようもない。
それでも、ぼくは、書き続ける。
ただ小説は、kimitokiに託した。
たとえ金にならなくてもいい。
名誉や実利に届かなくたっていい。
ぼくの記事が、誰彼の心に残るもの、と信じて、生ある限り、書き続ける。
永遠の生さえ信じて_____


たとえぼくが何らかの理由で刑死するにしても、
「ぼくは間違っていなかった」
と死ぬ間際に口にできれば、それでいい。


一条の光届くが遅すぎたでも餓鬼からは解放された
muramasa


追記 島秋人も、素寒貧でなかったら、強殺なんぞ、することはなかったかもしれない。
体が弱かったとのことだけど、経済的に恵まれていたなら、歌人 島秋人となるでもなし、無名の生を、遂げたかも。
思えばぼくも、貧乏には苦しんだ。
誰のサポートがあるわけではなかった。また、それがなかったから、逆に、いまのぼくがある、とも言える。_別段感謝はしないけど_